東大の祝辞が話題になっている、女性の社会的な格差を統計を駆使して厳然と存在する事を説明されている、こういった議論があつものとして聞き流されるのを心配されての配慮なんであろう、機会の平等、選択の自由は確かに女性の方が大変何だろうと思うが頑張った分だけ報われる社会って言葉は少しピントがずれているのかも知れない。これから迎える時代にあっては社会に女性が打ってでる思想的基盤を勝ち取ってもらいたいと言った方がまとを得ていると思われる。これから迎える超少子高齢化社会からの要請が彼女にこういったスピーチをさせたのかも知れない?統計に現れる現実と法律が目指す理念の乖離はいつの時代にも現れるものだけど今回提示された1.2と言う数字は克服すべき数字であるのかこれくらいは残した方が良いのかはまだ判断に迷う所ではある、日本の社会、世界でも同様だが女性は家庭を守り男性は社会に出てその役割を担う様になっているのが一般的な見方である、男性と女性の肉体的違いがそういう役割分担を形成したと見るのが正しい見方であろうと思われる、ただあらゆる機械が社会や家庭に入って来て男女に肉体的違いを克服してきた社会ではこの限りではないのだろう❗土木工事でも機械が導入されれば力の弱い人でも参入されるようにその社会基盤が参入してこれる人を選別しているのだろうと思われる、1.2と言う数字はそういう社会基盤から見て高いのか低いのか見る視点が大事であろうと思う、しかし未来に命をつなぐ力は男性の社会進出の優位性以上に女性の特権である、ここの所はいつの時代も忘れない社会であってほしいと感じてしまうスピーチであった❗家庭の中に子供を授かる事、女性の社会進出と横並びに議論する社会が来ない事を祈るばかりである、私の生きているあいだには、自然に付与された女性の特権は男性以上のものがあると思う今日この頃である